大きすぎる夢語るより、今すぐ出来る事をやろうよ。~2015年終盤におもうこと
2015/11/27 at 01:25
4年前の2011年、日本の空気は少なくとも私が生きてきた約30年の中では最も最悪だった。
あの日、3.11、わたしは関西にいた。東京に帰る予定の日だった。
交通網が壊滅していたので翌日の12日に都内に戻れたのだが、新幹線を降りたあとの昼間の山手線内の異常な空気が今でも忘れられない。
皆の携帯から地震速報が何度も鳴り、誰かが広げている新聞には原発が爆発したと書いてあって、乗客のほとんど皆が、この先の生活のすべてが変わってしまうのではという巨大な不安に包まれていたように思う。
震災が直接の原因で亡くなった人は知人の範囲には居なかったが、あの年は周囲の人も沢山亡くなった。
こんなことは今だから言えるが、私が一番怖かったのは二度と音楽なんてやれないんじゃないかということだった。
(当時はまだMayple collâ geの原案が出るかどうかの頃だった、私の人生の中では珍しく音楽をほとんどやっていなかった数年だった。)
音楽や芸術や娯楽などをやっている場合ではない、もしくは自粛を強要される、そんな国になってしまうことが怖かった。
事実、震災から夏前くらいまでのイベントは相当数中止になっていたし、なんでもかんでも不謹慎だから自粛という空気も実際にかなり感じた。
あれから四年半が経ち、当時の私が思っていたよりかは日本は復活したと思う。
被害の大きかった地域はまだまだ復興とは言えない状態にあると思うし、原発問題も収束していないだろうけれど、少なくとも都内で生活している限りは、国全体がそこそこなスピードで前向きになってきたと感じる。
娯楽もなくならなかったし、大きなフェスイベントも増えてきている。
これから何十年先を見たときに、日本が今より豊かになっている可能性は限りなく低いと思う。この少子高齢化では、まず不可能だろう。
音楽業界においても同じで、昔のようにミリオンセラーが年間何本もポンポン出て、ヴィジュアル系やっとけばとりあえずそこそこ売れて、みたいな時代ももう、やってこないだろう。
でもこれは後ろ向きな気持ちでそう言っているのではないのだ。
国の規模が縮小に向かい、業界の規模も縮小にむかっている今だからこそやるべきことは何か?
音楽に限って言えば、一部の優れたミュージシャンしかライブハウスに出られない時代なんてとっくに終わっていて、お金さえ払えば誰でも出られる。
演者もライブハウスも数が多すぎて客を食い合ってばかりだから、結局みんなジリ貧である。
しかし繰り返すが、後ろ向きな気持ちで言っているわけではない。
規模が小さくなり経済的にもあまり期待が出来ないのであれば、規模が小さいなりの幸せ、お金をかけないなりの幸せをを追求すればいいと思うし、生きている人間皆にその権利はあるのだ。
今まで正しいと思ってきたプライドや大きすぎる夢は、1度降ろして、今すぐに出来ることでちょっと幸せになれること、を探した方が良い時代なのではないかということである。
私自身の音楽活動で言えば、1000人クラスのホールでワンマンやりたい!とかは、無い。
いや、全くないかと言えば嘘になるが、少なくとも今の所は目指す所はそこではないのだ。
「規模が小さいなりの完成度」「規模が小さいからこそ出来ること」を突き詰めて行きたいし、それが出来た時初めて、もう1クラス上の規模を目指すべきだと思う。
ついでに言ってしまえば、親戚から昔の同級生から片っ端から動員する気になれば、多分150人クラスのハコならワンマンライブだって出来るだろう。
「1度限りでいいならば」ね。
だけど、それはやらない。
続けるために。
わたしは恐らく音楽は辞めるということはないから、高望みせずに、今やれることを最大限に生かしながら続けていきたい。
来年からは少し事業めいたことも始めます。
同じような規模で活動をしている人達って敵じゃないし、でも味方かと言うとそれも少し違う、戦友というとしっくりくるかな。
だったらお互い助け合いながらいこうよ。という、アーティスト同士の互助システムみたいなものを作っていけたらと思っています。
私が長文を書くと、だいたい何が言いたいかわからなくなるねw
極めて簡潔にまとめると、
「大きすぎる夢語るより、今すぐ出来る事をやろうよ」でした。
じゃぁのヽ(^o^)丿